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2009/11/07

遠軽のとうさん 最終話

04.jpg
平間正一  昭和5年、中湧別生まれ。上湧別に住み、先代より長谷川商店とつきあいのある農家。無農薬で地豆を作っている。

終戦の年、長谷川清繁さんは11歳。平間正一さんは15歳。
戦争は終わったが、彼らは食うや食わずの生活と闘っていた。

平間のとうさん「終戦の年、うちの爺さんの弟が樺太にいて、妹は満州にいて、
そういうのがみんな引き上げてきたわけ。
けどその年は凶作でね。
食うもんなんかないんだわ。かと言って食わんかったら体がもたん。
そこで荒れ地の木を切って根を起こして、一株一株そこに豆を植えたもんだよ」

長谷川のとうさん「麦、えん麦、いなきび、二番米、そこに豆入れて食べたよね」

平間のとうさん「食べた食べた」

長谷川のとうさん「あれは貝豆だとか前川だとかあっさりした豆だったから食べられた」

平間のとうさん「よくあれで栄養失調にならなかったな。

それに耐えなきゃならんて気持ちで耐えていったさな」

長谷川のとうさん「たまに芋、かぼちゃ」

平間のとうさん「芋のおつゆなんかなら、うまいうまいって夢中になって食ったもんだ。めったにあたらんかった芋が」
13-6.jpg長谷川のとうさん「早く言えばどうにかこうにか豆で命をつないだんだよ。豆が終戦の餓死を救った」

平間のとうさん「そうだそうだ」

ストーブに平間のとうさんが薪をくべる。
平間のかあさんは婦人会で温泉に出かけていない。

長谷川のとうさん「それにしても、親はよく子供たちを餓死させんかったね」
平間のとうさん「芋でもかぼちゃでも大根でも、腹いっぱい食わしたくて親爺はこの土地に入ったもんさな。
そのときはもう腹立って腹たって仕方なかった。
腐れ親爺!何だってこんなとこに来やがって。学校は遠いし」
長谷川のとうさん「そうだそうだ」
平間のとうさん「親の気持ちは、オレくらいの歳になって、やっと良くわかるんだ。
オレの親爺は、馬に大きな荷車をつけ、荷台に乗りながら馬を操る馬車追いだったのさ。
それで子供が8人。

馬車追いでは食わせれんと思って未墾地の払い下げを買って、ここに来たもんさな。
このあたりは粘土地だったから水もちが良かった。
それで水田を8町部ほどやってたんだ。
冷害が多いとこだったけど、なんとか米は作れた。
ところがさ。
13-7.jpg減反政策ということになって、田んぼを埋めれってことになった。
まぁ休耕にするんだから奨励金もくれたさね。
それでビートや馬鈴薯をみんな機械でやるってことになって。
痩地(そうち)改良するってことになって、ずいぶんと土も入れ替えた。
けれど、田んぼから急に畑になってな。

何とか一人前の百姓になろうとトラクター買って。
25年の年賦で。
家買ったり機械買ったり、払い続けて、
自分のふところ肥やすなんてことなかったの。
まさに機械の奉公だな。

なにからなにまでわからんしょ。

ほんとにあの頃はもう、頭も何も狂いそうだった。」

表はまた冷たい雨が降ってきた。
平間のとうさんと長谷川のとうさん、服部のとうさんは、ストーブを囲んで昔の苦労話を懐かしんでいる。

平間のとうさん「オレはオレで弟や妹より余計食いたいさな。
でも兄弟みんな平等、一切れなら一切れ。
小さいやつはいいさ。
でもオレはこれから仕事しなんきゃならんだから
そんなもんじゃたらん。

ある日たまりかねて、親爺に言ったんだ。

『俺は馬だ草だって運ばなきゃなんない。
妹や弟の胃袋より大きんだぞっ。
だから食わんきゃもたん』

そしたらな。
『言いたいこというなーっ』てデッキで思いきりぶんなぐられた」

長谷川のとうさん「そういう時代だった。親爺に殴られたこぶの上からさらに殴られた」

30.jpg平間のとうさん「当時ビルマ豆があった。ビルマを小豆代わりに蒔いてな」

服部のとうさん「ビルマ豆はよくできるし、塩餡にしたら、またおいしんだ。砂糖はむかし貴重だったから塩餡にして食べたもんだ」

長谷川のとうさん「ビルマ饅頭」

平間のとうさん「あった。これだって滅多に食べられんかった」

長谷川のとうさん「いくらか砂糖はあったけど、貴重だったね」

平間のとうさん「畑で育ててたビートを煮詰めると飴になるんだ。その甘みをつけると、ごちそうになる。この饅頭がめったにあたらないんだから」

服部のとうさん「うちの女房は米のとれる所に育ったんだ。それが瀬戸瀬のオレのところに嫁いだろ。だから米なんかないの。
小麦、エン麦、そば、裸麦、ひえ、あわ、いなきび、芋、かぼちゃ、豆。
そういうのを食べてたんだ。
女房の母親は米を食べるたびに泣いたって。娘に米を食べさせてやりたいと」
長谷川のとうさん「何にも食べるものがない時はえん麦だって、押しつぶしてオートミールのように食べた」
服部のとうさん「それでもな。
米のないオラんとこに嫁いだのは、なんて言ってもとうさんの魅力があったわけさ。
ある日、オレの自転車がパンクしたんだ。それでたまたま寄った家が女房の実家さ。
ここからロマンスが生まれた」

平間のとうさん「冗談はさておき。よくこれまで生きてきた」

長谷川のとうさん「ほんとだ」

服部のとうさん「ほんとうだ」

31.jpg

この町に3人のとうさんがいる。
とうさんたちにとって作為通りではなかったかもしれないけれど、三人三様、激動の変化をしたたかに生き抜いてきたことは間切れもない。

 2代目商人として父への敬意と反発。
 弟妹の生き死にを支える長男の責任。
 小さな集落で大規模農業を拒む意志。

町は2度の大戦争をはさみながら、豆やハッカ、アスパラにリンゴ、米に馬鈴薯にビート。
酪農や林業も交えながら、代が変わるごとにその様子をせわしなく様変わりさせてきた。
一言でいってしまえば、高度経済成長の時代の移り変わりだが、その横風のなか多くの別離があったにもかかわらず淡々としていたことは、きっと傍目以上に難しい。

服部のとうさんが最後にこんなことを言った。

「やっぱり今よりも昔の方が良い時代だった。
昔は確かに封建的だと言われたけどな。今のような自分自分ていう身勝手な時代よりも、みんなここで頑張るしかないという覚悟があったから思いやりがあったさな。
町の灯りが減ったから、思いやりまで減ったのか。
思いやりが減ってしまったから町の灯りが減ったのか。

若いときの苦労は買ってでもしろという言葉があるな。
あれは年取って苦労を初めてすると身に染みるっていうことだ。
だから若いうちに買ってでもしとけと。
若いころはおかげさまで苦労のしっぱなしだったから、いまじゃ苦労なんて思うことはなにもないな。

昔の時代がよかったのは、若いうちに苦労ができたからだな」

海岸プチまでせまった流氷が、ガンガンと互いにぶつかる音が間近に聞こえる。
それをここいらじゃ流氷の鳴き声という。
もうじき三人のとうさんの住むこの町に、流氷の鳴く冬が来る。

13-11.jpg

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