02.jpg長谷川清繁  昭和10年、遠軽生まれ。貝豆やパンダ豆、ビルマ豆など昔ながらの地豆を扱うべにや長谷川商店の二代目。

 

秋。収穫を迎えた遠軽は惨憺たる状況だ。
結局、夏以降気温は上がらず、結果として平間のとうさんの豆は全くといっていいほど収穫できなかった。

平間のとうさん「お盆には小豆(しょうず)が花咲くっていうのが標準でしょ。
標準なんだ。
それがおめえ。
今年はお盆でたった10センチくらいしかならんかったもな。
小豆以外の豆も水焼けして葉っぱが赤くなっちゃったもん」

長谷川のとうさん「結局、小豆はどうしたの」

平間のとうさん「あきらめて早々に土と一緒にすき込んじまった」

長谷川のとうさん「この畑は?」

平間のとうさん「かろうじて生き残った前川金時だ。まだ濡れてるから刈り取りもできないの」

平間のとうさんは長谷川のとうさんのために、まったくの無化学肥料、無農薬で昔ながらの地豆を作っている。
今年はわずかに前川金時がとれそうだ。
前川金時は一般に出回る大正金時より色も濃くしっかりとして小豆のようなこくもある。

湿った畑の前で平間のとうさんと長谷川のとうさんは静かにたばこを吸った。

平間のとうさん「長谷川商店にはうちの親爺もおれも代々世話になってる。こんな種しかとれないような年は初めてだ。申し訳ないな」

長谷川のとうさん「なんも、お互い様。よくね、親爺が言ってたの。
ヒトを泣かした金はすぐになくなる。
農家いじめてこすくやった問屋はみんな潰れた。
こうして平間のとうさんと人間関係がずっと続いてるっていうことが、ほんとに嬉しい」

13-21.jpg

13-23.jpg長谷川のとうさんの、そのまたとうさんは、愛知から遠軽の雑穀商の奉公にやって来た。
そして遠軽近く倶知安(くっちゃん)の母と見合い結婚し、7人の子供に恵まれた。

長谷川のとうさんの上には姉と兄。
兄はラガーマン、そして地元のスターであり、地元からの羨望のまなざしを受け東京の大学に行った。
さて、長男がいなくなった遠軽、長谷川商店では、次男坊だった長谷川のとうさんが、
厳しい父と2人、店を切り盛りすることになる。

長谷川のとうさんはこう思い出す。

「そりゃね、オレだって大学に行きたかった。

母はよくこう言ったの。
『兄妹で一番頭がいいのは清繁、おまえだよ。
いいかい。

頭が良んだから大学なんか行かなくたってちゃんとやれるよ。
あんたは遠軽に残って兄ちゃんの分まで頑張るんだよ』

そのときはそうかなと思って頑張ったさ。
あの頃は、母にだまされ、だまされやったようなもの。

もう17、18から、60kgの豆をしょわされてね。
ちょっとでも弱音吐くと、親父は頭をバンバン叩いて。25までは叩かれた。

そんなときも母は
『お父さんはあんたを憎らしくて叩いてるんじゃないよ』ってね。
13-25.jpg夜逃げしようと布団を縛ったことが2回あったの。
けど。
兄貴は私立の大学に行ってしまったし、自分まで出てったら残った母が苦労すると考えてしまう。
その辺まで出てったけど、思いとどまるほかなかった。

豆がわかるまでに15年かかると親爺はよく言ってた。

親爺にこっぴどく叩かれた分、仕事は3年早く覚えたと思う。
豆を見る目には今でも自信がある。これは財産だよ。
実際いま豆を見る目があるヒトがいないよ。
豆の良し悪しがわからんから、正しい値段がつけられない。
豆は見た瞬間に良し悪しがわからなきゃダメなんだよ。
見てから20秒で価格を決めなくてはならない。大きく損をする。
そんな時代だった」

湿った畑の前で平間のとうさんと長谷川のとうさんは静かにたばこを吸った。

平間のとうさん「ここらはお互いに助け合ったとこだよぉね」

長谷川のとうさん「ほんとだ」

平間のとうさん「ちょっと昔はね。つくり味噌だったからね。みんな自分でね。
ほんとここらはおれんとこ味噌がないっちゅったら、となりが持ってきてくれるんだ。
となりがおれんとこに味噌ないっちゅったら持ってってやんの。桶に一つくらいずつ」

長谷川のとうさん「今はもう残念ながらね、それがあんまりないもね」

平間のとうさん「ほんとに人の気持ちのつながり。これがないからね。
人を殺したり引ったくりしたり。人間関係が、全然成ってないんだよね」
13-22.jpg

mamehicoヒトヒコヒトヒコ13週:遠軽のとうさん長谷川清繁  昭和10年、遠軽生まれ。貝豆やパンダ豆、ビルマ豆など昔ながらの地豆を扱うべにや長谷川商店の二代目。   秋。収穫を迎えた遠軽は惨憺たる状況だ。結局、夏以降気温は上がらず、結果として平間のとうさんの豆は全くといっていいほど収穫できなかった。 平間のとうさん「お盆には小豆(しょうず)が花咲くっていうのが標準でしょ。標準なんだ。それがおめえ。今年はお盆でたった10センチくらいしかならんかったもな。小豆以外の豆も水焼けして葉っぱが赤くなっちゃったもん」 長谷川のとうさん「結局、小豆はどうしたの」 平間のとうさん「あきらめて早々に土と一緒にすき込んじまった」 長谷川のとうさん「この畑は?」 平間のとうさん「かろうじて生き残った前川金時だ。まだ濡れてるから刈り取りもできないの」 平間のとうさんは長谷川のとうさんのために、まったくの無化学肥料、無農薬で昔ながらの地豆を作っている。今年はわずかに前川金時がとれそうだ。前川金時は一般に出回る大正金時より色も濃くしっかりとして小豆のようなこくもある。 湿った畑の前で平間のとうさんと長谷川のとうさんは静かにたばこを吸った。 平間のとうさん「長谷川商店にはうちの親爺もおれも代々世話になってる。こんな種しかとれないような年は初めてだ。申し訳ないな」 長谷川のとうさん「なんも、お互い様。よくね、親爺が言ってたの。ヒトを泣かした金はすぐになくなる。農家いじめてこすくやった問屋はみんな潰れた。こうして平間のとうさんと人間関係がずっと続いてるっていうことが、ほんとに嬉しい」 長谷川のとうさんの、そのまたとうさんは、愛知から遠軽の雑穀商の奉公にやって来た。そして遠軽近く倶知安(くっちゃん)の母と見合い結婚し、7人の子供に恵まれた。 長谷川のとうさんの上には姉と兄。兄はラガーマン、そして地元のスターであり、地元からの羨望のまなざしを受け東京の大学に行った。さて、長男がいなくなった遠軽、長谷川商店では、次男坊だった長谷川のとうさんが、厳しい父と2人、店を切り盛りすることになる。 長谷川のとうさんはこう思い出す。 「そりゃね、オレだって大学に行きたかった。 母はよくこう言ったの。『兄妹で一番頭がいいのは清繁、おまえだよ。いいかい。 頭が良んだから大学なんか行かなくたってちゃんとやれるよ。あんたは遠軽に残って兄ちゃんの分まで頑張るんだよ』 そのときはそうかなと思って頑張ったさ。あの頃は、母にだまされ、だまされやったようなもの。 もう17、18から、60kgの豆をしょわされてね。ちょっとでも弱音吐くと、親父は頭をバンバン叩いて。25までは叩かれた。 そんなときも母は『お父さんはあんたを憎らしくて叩いてるんじゃないよ』ってね。 夜逃げしようと布団を縛ったことが2回あったの。けど。兄貴は私立の大学に行ってしまったし、自分まで出てったら残った母が苦労すると考えてしまう。その辺まで出てったけど、思いとどまるほかなかった。 豆がわかるまでに15年かかると親爺はよく言ってた。 親爺にこっぴどく叩かれた分、仕事は3年早く覚えたと思う。豆を見る目には今でも自信がある。これは財産だよ。実際いま豆を見る目があるヒトがいないよ。豆の良し悪しがわからんから、正しい値段がつけられない。豆は見た瞬間に良し悪しがわからなきゃダメなんだよ。見てから20秒で価格を決めなくてはならない。大きく損をする。そんな時代だった」 湿った畑の前で平間のとうさんと長谷川のとうさんは静かにたばこを吸った。 平間のとうさん「ここらはお互いに助け合ったとこだよぉね」 長谷川のとうさん「ほんとだ」 平間のとうさん「ちょっと昔はね。つくり味噌だったからね。みんな自分でね。ほんとここらはおれんとこ味噌がないっちゅったら、となりが持ってきてくれるんだ。となりがおれんとこに味噌ないっちゅったら持ってってやんの。桶に一つくらいずつ」 長谷川のとうさん「今はもう残念ながらね、それがあんまりないもね」 平間のとうさん「ほんとに人の気持ちのつながり。これがないからね。人を殺したり引ったくりしたり。人間関係が、全然成ってないんだよね」