長谷川清繁  昭和10年、遠軽生まれ。(写真中央)
貝豆やパンダ豆、ビルマ豆など昔ながらの地豆を扱うべにや長谷川商店の二代目。

平間正一   昭和5年、中湧別生まれ。(写真右)
上湧別に住み、先代より長谷川商店とつきあいのある農家。無農薬で地豆を作っている。


服部行夫     
大正元年、遠軽生まれ。(写真左)
瀬戸瀬地区に、馬とともに暮らしている。馬の堆肥を使い昔と変わらぬやりかたで営む農家。

7月26日。
遠軽は今日も雨。
連日続く天候不良で、作物の生育悪し。
畑にはところどころ水たまりまでできている。
いったいいつになったら晴れてくれるのか。

「ハッピバースディトゥーユー、ハッピバースディトゥーユー、
ハッピバースディトゥーユー、長谷川のとうさん。ハッピバースディトゥーユー、」

おめでとう。おめでとう。

 
13-12.jpg遠軽駅にほど近い商店街の一角に、べにや長谷川商店はひっそりとたたずんでいる。
創業昭和元年の長谷川商店は、雑穀をおもに扱ってきた。
2代目当主である長谷川のとうさんは、なかでも豆に力を入れ、
さらにそのなかでも、地豆と呼ばれる豆で、今や北海道中、いや全国区で一躍時の人となっている。

ビルマ豆、前川金時、貝豆、紅絞り。

馴染みの少ないこれら地豆は、この辺り一帯でかつてはよくよく作られ、そして食べられ、
戦中戦後の飢餓から救った。
その地豆に東京に住む娘、清美さんらが着目し、最初はその珍しさ、そして食べればそのおいしさで注文はひっきりなしとなり、74歳にして休む暇なく忙しい。

今日の誕生会は様々な人が集まったが、なかでも、瀬戸瀬の農家、服部夫妻、
13-14.jpg上湧別の農家、平間さん夫妻とは50年にもわたる長い付き合いであり、地豆作りに協力してもらっている。
13-13.jpg誕生会は和やかに進んだが、やはり尽きぬ話しは今年の悪天候だ。

今年(2009年)、北海道・東北の7月の日照時間が平年の54%しかなかった。
これは戦後最短の記録だと、気象庁は発表した。
札幌でわずか74時間、オホーツク沿岸はわずか48時間しか日照時間がなかった。
13-15.jpg

平間のとうさん「今年は蒔きつけから天気がおかしかった。
気温は一向に上がらんし、畑行って草むしろうと、除草機を通そうったってぬかってぬかって。
除草機通せれないの」

服部のとうさん「テーラーで何とかかんとかやって、あとは手で何とかしようと思っても、足首までぬかるんだから。
草取りも出来なかったの」

平間のとうさん「あれだけ降ったらどぶどぶで土がぬかって、つぼ足では入れないんだから」

長谷川のとうさん「それでも、あんだけの長雨だったけど、豆は発芽だけはしたんだよね」

平間のとうさん「そう、発芽はしたんだけども」

服部のとうさん「まぁまひどい。

農家やって70年になるけどこんなこと初めてだぞよ」

 外国からの輸入豆に押され、国産の豆の需要はぐっと落ち込んでいた。
国産豆の一大産地は十勝平野だ。
その十勝は大平野に大型機械で生産する方法がとられ、大豆や小豆など品種改良が施されたハイブリッド豆が主に作られている。

遠軽での豆作りは下火が続いていた。
いまも大きく変わらない。

しかし、長谷川のとうさんは忙しい。
全国から豆の注文が殺到しているからだ。
東京に住む娘、清美さんを通じて、遠軽の地豆は新聞やテレビで取り上げられることになり、瞬く間に全国区に広まった。

長谷川のとうさん「はいはい。名古屋だって、送りますよ。
いや少量ずつ送ります。えぇ、えぇ。
あのね、うちの豆はまったく薬使わないで作ってるからね。
虫がわきやすいの。豆コクゾウムシっていうね。
だからこちらから要る分だけ言ってください。送りますから」

長谷川のとうさん「あぁあぁ函館のかた。あっテレビ見てね。
ありがとうございます。
今年は遠軽もすっかりダメです。
パンダ豆を。へぇ、植えてみるの?そうですか。
はいはい。ありがとうございます。どんどんお植えになってください。すぐに送りますから」

無農薬で泥のついた長谷川のとうさんの豆は、体に良いだけでなく、なにより味が良い。
注文は後を絶たないが、なにより頭が痛いのは来年のことだ。

13-16.jpg長谷川のとうさん「みなさんからこうしてね、支持していただいてほんとにありがたいことだけど、来年はどうなるか正直わかんないの。
気の毒?
いやうちよりも地べた這いつくばってなんにもならんかった農家さんのほうがよっぽど気の毒。
ほんとにこんなに豆の取れなかった年はなかったんだから」

mamehicoヒトヒコヒトヒコ13週:遠軽のとうさん長谷川清繁  昭和10年、遠軽生まれ。(写真中央)貝豆やパンダ豆、ビルマ豆など昔ながらの地豆を扱うべにや長谷川商店の二代目。 平間正一   昭和5年、中湧別生まれ。(写真右)上湧別に住み、先代より長谷川商店とつきあいのある農家。無農薬で地豆を作っている。服部行夫      大正元年、遠軽生まれ。(写真左)瀬戸瀬地区に、馬とともに暮らしている。馬の堆肥を使い昔と変わらぬやりかたで営む農家。 7月26日。遠軽は今日も雨。連日続く天候不良で、作物の生育悪し。畑にはところどころ水たまりまでできている。いったいいつになったら晴れてくれるのか。 「ハッピバースディトゥーユー、ハッピバースディトゥーユー、ハッピバースディトゥーユー、長谷川のとうさん。ハッピバースディトゥーユー、」 おめでとう。おめでとう。   遠軽駅にほど近い商店街の一角に、べにや長谷川商店はひっそりとたたずんでいる。創業昭和元年の長谷川商店は、雑穀をおもに扱ってきた。2代目当主である長谷川のとうさんは、なかでも豆に力を入れ、さらにそのなかでも、地豆と呼ばれる豆で、今や北海道中、いや全国区で一躍時の人となっている。 ビルマ豆、前川金時、貝豆、紅絞り。 馴染みの少ないこれら地豆は、この辺り一帯でかつてはよくよく作られ、そして食べられ、戦中戦後の飢餓から救った。その地豆に東京に住む娘、清美さんらが着目し、最初はその珍しさ、そして食べればそのおいしさで注文はひっきりなしとなり、74歳にして休む暇なく忙しい。 今日の誕生会は様々な人が集まったが、なかでも、瀬戸瀬の農家、服部夫妻、 上湧別の農家、平間さん夫妻とは50年にもわたる長い付き合いであり、地豆作りに協力してもらっている。 誕生会は和やかに進んだが、やはり尽きぬ話しは今年の悪天候だ。 今年(2009年)、北海道・東北の7月の日照時間が平年の54%しかなかった。これは戦後最短の記録だと、気象庁は発表した。札幌でわずか74時間、オホーツク沿岸はわずか48時間しか日照時間がなかった。 平間のとうさん「今年は蒔きつけから天気がおかしかった。気温は一向に上がらんし、畑行って草むしろうと、除草機を通そうったってぬかってぬかって。除草機通せれないの」 服部のとうさん「テーラーで何とかかんとかやって、あとは手で何とかしようと思っても、足首までぬかるんだから。草取りも出来なかったの」 平間のとうさん「あれだけ降ったらどぶどぶで土がぬかって、つぼ足では入れないんだから」 長谷川のとうさん「それでも、あんだけの長雨だったけど、豆は発芽だけはしたんだよね」 平間のとうさん「そう、発芽はしたんだけども」 服部のとうさん「まぁまひどい。 農家やって70年になるけどこんなこと初めてだぞよ」  外国からの輸入豆に押され、国産の豆の需要はぐっと落ち込んでいた。国産豆の一大産地は十勝平野だ。その十勝は大平野に大型機械で生産する方法がとられ、大豆や小豆など品種改良が施されたハイブリッド豆が主に作られている。 遠軽での豆作りは下火が続いていた。いまも大きく変わらない。 しかし、長谷川のとうさんは忙しい。全国から豆の注文が殺到しているからだ。東京に住む娘、清美さんを通じて、遠軽の地豆は新聞やテレビで取り上げられることになり、瞬く間に全国区に広まった。 長谷川のとうさん「はいはい。名古屋だって、送りますよ。いや少量ずつ送ります。えぇ、えぇ。あのね、うちの豆はまったく薬使わないで作ってるからね。虫がわきやすいの。豆コクゾウムシっていうね。だからこちらから要る分だけ言ってください。送りますから」 長谷川のとうさん「あぁあぁ函館のかた。あっテレビ見てね。ありがとうございます。今年は遠軽もすっかりダメです。パンダ豆を。へぇ、植えてみるの?そうですか。はいはい。ありがとうございます。どんどんお植えになってください。すぐに送りますから」 無農薬で泥のついた長谷川のとうさんの豆は、体に良いだけでなく、なにより味が良い。注文は後を絶たないが、なにより頭が痛いのは来年のことだ。 長谷川のとうさん「みなさんからこうしてね、支持していただいてほんとにありがたいことだけど、来年はどうなるか正直わかんないの。気の毒?いやうちよりも地べた這いつくばってなんにもならんかった農家さんのほうがよっぽど気の毒。ほんとにこんなに豆の取れなかった年はなかったんだから」