kageyama3-1.jpg影山知明-1973年、西国分寺生まれ。愛知県育ち。
東京大学、法学部卒業後、外資系コンサルティング会社に勤務。
その後、志を持ってベンチャーキャピタリストに転身。
昨年秋、生家の地にマージュ西国分寺を建てる。
そこに子供たちのためのカフェ「クルミドコーヒー」を開き、
試行錯誤の毎日を送っている。娘のゆのちゃんは今年2歳。
クルミドコーヒー 
http://kurumed.jp/

入道雲に遠雷が鳴り響く。
黒く垂れこめた空からバケツをひっくり返したような雨がバイクにたたき落ちた。
全身濡れねずみの運転手は渋谷から藤沢に向かっている。
今回、井川はクルミドコーヒーの全メニュー、レシピ、内装デザイン、家具、ロゴを影山に任されていた。
地下に置く、300年の栃の木に合わせる椅子が、どうしてもしっくりくるものが見あたらない。
晴海のアンティーク倉庫で2脚気に入ったものを見つけたが、あとの6脚はどこを探しても見つからなかった。
それらしいものがどうもありそうだと聞きつけ、渋谷から藤沢までバイクをすっ飛ばしてやってきたのだ。
閉店間際の倉庫に飛び込み、件の椅子をすぐさま確認した。
イギリスから届いたばかりのダイニングチェアーのアンティークだ。

「座面はいんだけど、背もたれがだめなんだよな」

kageyama14.jpgさらに、クルミ割人形をモチーフとしたデザインのコインも作った。
井川はこのコインを、”7角形”にしたいと思っていた。
国分寺にかつてあったという七重塔の7にからめたかったからだ。
試作品は中国に頼んだ。失敗だった。彫りがどうしても深すぎる。
はじめはこのテカリは気になりますが、使っているうちに気にならなくなりますよ、と業者は言う。
返品し、新潟の職人に一つずつ丁寧に作るように依頼した。
単価は倍に跳ね上がった。

kageyama15.jpg店内二階の見晴らしテーブル。
これも完成してから、子供には高すぎたと全部壊し、もう一度作り直している。
クルミドコーヒーの店内にあるすべてのもの、匂い、味、手触り。
これらは間違いなく、一つの決定の陰に、少なく見積もっても100の選択肢は捨てられている。

店内の特徴の木のタイル。
当初は既製のテラコッタを選択するつもりだった。
しかし、石の床は音が響く。足への負担も大きい。
一階部分はエントランスであり広場のようにもしたい。
だからタイル敷きにしたいが、それをなんとか廃材でできないか。
早速、担当者は製材所で1000はくだらないタイルを手でカットしてきた。
それを現場で赤、青、無色と筆で着色し、それを乾かした後、木工用オイルを塗り拭き取って、自然な風合いに仕上げる。
それをまた一つ一つ大きさや色を見ながら、床や壁に貼っていく。地味な作業だ。
貼り終えた後は、漆喰で目地を埋め、余分な漆喰はボロ布で拭き取っていく。

kageyama16.jpgデザインなんてどうでもいいと考えていた。
たとえ愚鈍なデザインでも、
大人が馬鹿馬鹿しいほどに手間をかけたものは、
子供には迫力をもって伝わる。

マメヒコの井川が描いた手書きの企画書にはこうある。

 『このカフェを、ぼくらの娘のために作ろうと思う。
  たとえ潰れてもやってよかったと思えるカフェ。
  子供のカフェといってもテーマパークや
  幼稚園やおまけをくれるカフェではない。
  子供を取り込めば大人がついてくる
  というのではない。
  本当の子供のカフェを愛娘のために作ろうと思う』

影山はこのとき、あぁ、と思った。
自分のノスタルジーを店に再現するのではない。
子供のための喫茶店。
「クルミ」は「胡桃」のつもりだったが、
「来る未来」とも言えるんだ。

kakeyama22.jpg夜になるとクルミドコーヒーは昼間とは別世界になる。
瞬くライトがそこかしこを照らし、店内はグッと幻想的だ。
オーダーを一息にこなし、手すりにもたれかかりながら、
影山は、それにしてもなぁと思う。
なぜボクはいまエプロン姿でここに立っているのか。

学生の頃から成績は優秀だった。
中学・高校とサッカー部に入り、キャプテンをつとめた。
東大法学部を出て、行く末は国連の事務総長になりたいと思った。
けれど、ビジネスの世界をまず知りたいと外資系のコンサルティング会社に就職した。


kakeyama21.jpg影山「はじめはコンサルタントの仕事をしていたんですが、提案するところまでで終わってしまうという仕事に、
どこかうさん臭いものを感じていたんです。
そこで退社して、ベンチャーキャピタリストという道に進みました。
自分がその企業に投資し、さらに経営に関わることで、
企業と浮き沈みをともにすることができる。
それでも。
どこまで行っても当事者ではないという気持ちは拭えなかったんですね。
そこでクルミドコーヒーをひょんなことから始めることになって、はじめて当事者になったんですね」

※クルミドコーヒーの企画書はこちら 

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mamehicoヒトヒコヒトヒコ12週:影山知明さん  影山知明-1973年、西国分寺生まれ。愛知県育ち。東京大学、法学部卒業後、外資系コンサルティング会社に勤務。その後、志を持ってベンチャーキャピタリストに転身。昨年秋、生家の地にマージュ西国分寺を建てる。そこに子供たちのためのカフェ「クルミドコーヒー」を開き、試行錯誤の毎日を送っている。娘のゆのちゃんは今年2歳。クルミドコーヒー http://kurumed.jp/ 入道雲に遠雷が鳴り響く。黒く垂れこめた空からバケツをひっくり返したような雨がバイクにたたき落ちた。全身濡れねずみの運転手は渋谷から藤沢に向かっている。今回、井川はクルミドコーヒーの全メニュー、レシピ、内装デザイン、家具、ロゴを影山に任されていた。地下に置く、300年の栃の木に合わせる椅子が、どうしてもしっくりくるものが見あたらない。晴海のアンティーク倉庫で2脚気に入ったものを見つけたが、あとの6脚はどこを探しても見つからなかった。それらしいものがどうもありそうだと聞きつけ、渋谷から藤沢までバイクをすっ飛ばしてやってきたのだ。閉店間際の倉庫に飛び込み、件の椅子をすぐさま確認した。イギリスから届いたばかりのダイニングチェアーのアンティークだ。 「座面はいんだけど、背もたれがだめなんだよな」 さらに、クルミ割人形をモチーフとしたデザインのコインも作った。井川はこのコインを、'7角形'にしたいと思っていた。国分寺にかつてあったという七重塔の7にからめたかったからだ。試作品は中国に頼んだ。失敗だった。彫りがどうしても深すぎる。はじめはこのテカリは気になりますが、使っているうちに気にならなくなりますよ、と業者は言う。返品し、新潟の職人に一つずつ丁寧に作るように依頼した。単価は倍に跳ね上がった。 店内二階の見晴らしテーブル。これも完成してから、子供には高すぎたと全部壊し、もう一度作り直している。クルミドコーヒーの店内にあるすべてのもの、匂い、味、手触り。これらは間違いなく、一つの決定の陰に、少なく見積もっても100の選択肢は捨てられている。 店内の特徴の木のタイル。当初は既製のテラコッタを選択するつもりだった。しかし、石の床は音が響く。足への負担も大きい。一階部分はエントランスであり広場のようにもしたい。だからタイル敷きにしたいが、それをなんとか廃材でできないか。早速、担当者は製材所で1000はくだらないタイルを手でカットしてきた。それを現場で赤、青、無色と筆で着色し、それを乾かした後、木工用オイルを塗り拭き取って、自然な風合いに仕上げる。それをまた一つ一つ大きさや色を見ながら、床や壁に貼っていく。地味な作業だ。貼り終えた後は、漆喰で目地を埋め、余分な漆喰はボロ布で拭き取っていく。 デザインなんてどうでもいいと考えていた。たとえ愚鈍なデザインでも、大人が馬鹿馬鹿しいほどに手間をかけたものは、子供には迫力をもって伝わる。 マメヒコの井川が描いた手書きの企画書にはこうある。  『このカフェを、ぼくらの娘のために作ろうと思う。  たとえ潰れてもやってよかったと思えるカフェ。  子供のカフェといってもテーマパークや  幼稚園やおまけをくれるカフェではない。  子供を取り込めば大人がついてくる  というのではない。  本当の子供のカフェを愛娘のために作ろうと思う』 影山はこのとき、あぁ、と思った。自分のノスタルジーを店に再現するのではない。子供のための喫茶店。「クルミ」は「胡桃」のつもりだったが、「来る未来」とも言えるんだ。 夜になるとクルミドコーヒーは昼間とは別世界になる。瞬くライトがそこかしこを照らし、店内はグッと幻想的だ。オーダーを一息にこなし、手すりにもたれかかりながら、影山は、それにしてもなぁと思う。なぜボクはいまエプロン姿でここに立っているのか。 学生の頃から成績は優秀だった。中学・高校とサッカー部に入り、キャプテンをつとめた。東大法学部を出て、行く末は国連の事務総長になりたいと思った。けれど、ビジネスの世界をまず知りたいと外資系のコンサルティング会社に就職した。 影山「はじめはコンサルタントの仕事をしていたんですが、提案するところまでで終わってしまうという仕事に、どこかうさん臭いものを感じていたんです。そこで退社して、ベンチャーキャピタリストという道に進みました。自分がその企業に投資し、さらに経営に関わることで、企業と浮き沈みをともにすることができる。それでも。どこまで行っても当事者ではないという気持ちは拭えなかったんですね。そこでクルミドコーヒーをひょんなことから始めることになって、はじめて当事者になったんですね」 ※クルミドコーヒーの企画書はこちら