2008/06/14

珈琲焙煎師 菊地良三 最終話


vol2-6-1.jpg菊地良三(よしみ)-珈琲焙煎師。札幌 菊地珈琲代表。67歳。
1941年(昭和16年)北海道・音更出身。
ジャガイモや豆を作る畑作農家に生まれる。8人兄弟。
札幌の大学を卒業後、大手珈琲商社に就職し、45歳で独立。自家焙煎珈琲
の店「菊地珈琲 キクチ珈琲」を開業した。
http://www.kikuchicoffee.co.jp
長年の経験による独自の珈琲は、主に札幌市内の喫茶店に届けられている。
2005年以降、都内では唯一、カフエ マメヒコに珈琲豆を卸している。

マメヒコと菊地珈琲の付き合いはこの7月で3年目を迎える。
マメヒコの無理難題?に応えているのはもっぱら博樹だ。
季節ごとに変わる珈琲豆の選定。
珈琲豆に対するありとあらゆる愚問。

マメヒコ「深煎り珈琲はどうやってできているのかって、お客さんに聞かれたんですけどー、あのー、なんて答えたらいいのかなって?」

台湾から生豆を持ち込まれ、なんかテキトーに焼いてほしいと頼まれたこともあった。持ち込まれた豆は薄皮がついたままだった。そのときは麻袋を使って徹夜でひとつひとつ剥いだ。

マメヒコに顔を出すのも博樹である。
顔を出し、話しをする。
慌ただしい東京の店の邪魔にならぬように気を遣いながら、
さっと来てさっと帰る。
北海道土産と、ちょっと気になった珈琲豆のサンプルを置いていくこともある。

vol2-6-2.jpg博樹はいま、焙煎だけではない。
札幌市内の北半分の配達も任されている。
焙煎に配達にと忙しい。

父の菊地は事業を拡大する気がない。
自分の代は土台を固める。自分の役目はそれでいいと思ってる。
息子の代になれば息子が好きにやればいい。

菊地「あのね、誤解を恐れずに言えば、誰もが美味しく感じる珈琲なんてものは作れないわけです。
珈琲の味の良し悪しは結局は好み。万人にとって最高の質なんてものはない。
だから焙煎師としてせめて、すっきりした珈琲を目指して作ってきた。それだけのこと」

開店から愛され続けてきた菊地の味を博樹は守らなければならない。
しかし息子は新しい時代にも応えていかなければならないのだ。
守ることと壊し作ること。
食糧難、環境問題、高齢化社会。日本の未来は決して明るいわけではない。

まり子「菊地はね。ほんと、変わりません。
ただひたすらお客様に向き合って、こつこつと積み重ねた22年でした。
22年前と気持ちも同じ、やることも同じ、変わらない毎日。わたしは変わってほしいと思わないし、それでいいんだと思うわ。変わらない中にこそ、菊地の味があるんだと思うから」

菊地良三はもう焙煎をしない。だから焙煎師ではないのか。
それは違う。
自分の名のつく珈琲豆にはすべて責任をもとうという決意で22年前「菊地珈琲」を始めたのだ。
菊地は「豆」を通して知り合ったすべてのヒトに、マメに尽くしてきた。
それはなにより「菊池珈琲」を信頼してもらうためだ。
一代目の役目は、いしずえを固めるだけで十分だと思っているのだ。
息子が加わり、社員も増え、お客さまも増えた。
たくさんのお客様が「菊地珈琲」を信頼してくれた。

vol2-6-3.jpg菊地「独立して店を始めるとき。最初は誰だってドキドキしながら、髪をセットし、女性ならお化粧をして、いらっしゃいませと扉を開けたはずです。
でも時間が経つにつれ、そのドキドキした気持ちは失くなってゆく。
私はね、開店したあの一日目と同じドキドキを持ち続けて扉を開けたいと決めてるの。
だってさ、毎日、初めて菊地珈琲の扉を開けるお客さんていうのがいるんです。ということはね。毎日、菊地珈琲とお客さんとの歴史が始まる記念すべき日だと言えるでしょ」

菊地良三、67才。珈琲焙煎師。
彼の人生を漢字一文字で表すならば、それはきっとこの一文字になる。
 「豆」。
彼にとって「豆」とはすなわち「愛」なのである。
菊地良三。まり子。博樹。
札幌の小さな家族の大きな愛が今日もどこかで待たれている。

(取材 石田達士)

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