vol1-6-1.jpg

菊地良三(よしみ)-珈琲焙煎師。札幌 菊地珈琲代表。67歳。
1941年(昭和16年)北海道・音更出身。
ジャガイモや豆を作る畑作農家に生まれる。8人兄弟。
札幌の大学を卒業後、大手珈琲商社に就職し、45歳で独立。自家焙煎珈琲
の店「菊地珈琲 キクチ珈琲」を開業した。
http://www.kikuchicoffee.co.jp
長年の経験による独自の珈琲は、主に札幌市内の喫茶店に届けられている。
2005年以降、都内では唯一、カフエ マメヒコに珈琲豆を卸している。

誰もいない店内では、息子の博樹が焙煎を続けている。納得いく豆が焼けるまで深夜になることも珍しくない。

「父は結局この仕事が好きなんですよ。珈琲を届けるのも、その先で世間話をするのも。
だからこの仕事を一生やめられないと思いますよ。まぁ会社としては配達にまわす人手が足りないんで大助かりですけど(笑)」

しかし、時々、菊地良三(67)はこぼす。

「珈琲屋にとって無論味は大事ですが、焙煎技術が一番大事なのではない。息子はほんとに大事なものがまだまだわかってない」

そしてこう続ける。

「菊地珈琲を始めた当初は、お客さんからすれば、こんないつ無くなるかわからない店なんてとっても不安だったはずなんだよね。大手の珈琲屋はいくらだってあるのに、うちに珈琲豆を頼んでくれた喫茶店がいくつもあった。うちを選んでくれた。そのことがほんとに嬉しかった。そのお客さんがいてくれたからこそ、いまの菊地珈琲がある。どんなことがあってもね、その事は絶対に忘れちゃいけない。だからわたしは、少しでもお客さんにご恩をお返ししなくちゃいけない」

vol1-6-2.jpgこれは去年の秋の話だ。

客足がひいた土曜日の閉店間際のマメヒコ。在庫をチェックしていたスタッフはさーっと青ざめた。
明日の分の深煎り珈琲がないのだ。
あると思っていた豆がない。
明日は日曜日なのに深煎り珈琲が提供できない。
深夜0時過ぎ。札幌の菊地珈琲に電話をし事情を説明した。

「すみません。なるべく早く送ってもらえませんか」

電話の応対をしたのは博樹だ。

「わかりました。しかし空輸便で送ったとしてもどんなに早くて月曜日ですがかまいませんか」

仕方ないです。としょげるしかない。

「楽しみに来てくれたお客さまにはどうされるんですか?今手元にわずかですが深煎り豆があります。それを始発の飛行機に乗って届ければ午前中にはそちらにつきます」

翌朝4時。真っ赤な秋空の中、博樹は札幌を出発し、千歳空港へわずか2キロの深煎り豆を届けた。千歳から先はマメヒコのスタッフにゆだねた。
三軒茶屋のマメヒコに深煎り豆が届いたのは午前9時30分である。開店から一時間半、わずかに残った前日の豆で深煎り珈琲が品切れになることはなかった。 

vol1-6-3.jpgそうなのだ。
息子は父が言っていることをわかっているのだ。
わかっているけど、わかっていないと思われていることも、わかっているのだ。
そして、わかっているつもりでもまだまだわからないことがあることもわかっているのだ。

菊地珈琲の珈琲とは、菊地の「ヒト」に対する「豆さ」なのである。
菊地良三にとって「豆」とは、つまり「ヒト」であり、「豆」を愛すると言うことはすなわち「ヒト」を愛するということなのだ。

「ヒト」を愛した菊地の珈琲が、今日もマメヒコに届けられている。

                                                                                             来週につづく・・・

0
mamehicoヒトヒコヒトヒコ1週:菊地良三さん菊地良三(よしみ)-珈琲焙煎師。札幌 菊地珈琲代表。67歳。1941年(昭和16年)北海道・音更出身。ジャガイモや豆を作る畑作農家に生まれる。8人兄弟。札幌の大学を卒業後、大手珈琲商社に就職し、45歳で独立。自家焙煎珈琲の店「菊地珈琲 キクチ珈琲」を開業した。http://www.kikuchicoffee.co.jp長年の経験による独自の珈琲は、主に札幌市内の喫茶店に届けられている。2005年以降、都内では唯一、カフエ マメヒコに珈琲豆を卸している。 誰もいない店内では、息子の博樹が焙煎を続けている。納得いく豆が焼けるまで深夜になることも珍しくない。 「父は結局この仕事が好きなんですよ。珈琲を届けるのも、その先で世間話をするのも。だからこの仕事を一生やめられないと思いますよ。まぁ会社としては配達にまわす人手が足りないんで大助かりですけど(笑)」 しかし、時々、菊地良三(67)はこぼす。 「珈琲屋にとって無論味は大事ですが、焙煎技術が一番大事なのではない。息子はほんとに大事なものがまだまだわかってない」 そしてこう続ける。 「菊地珈琲を始めた当初は、お客さんからすれば、こんないつ無くなるかわからない店なんてとっても不安だったはずなんだよね。大手の珈琲屋はいくらだってあるのに、うちに珈琲豆を頼んでくれた喫茶店がいくつもあった。うちを選んでくれた。そのことがほんとに嬉しかった。そのお客さんがいてくれたからこそ、いまの菊地珈琲がある。どんなことがあってもね、その事は絶対に忘れちゃいけない。だからわたしは、少しでもお客さんにご恩をお返ししなくちゃいけない」 これは去年の秋の話だ。 客足がひいた土曜日の閉店間際のマメヒコ。在庫をチェックしていたスタッフはさーっと青ざめた。明日の分の深煎り珈琲がないのだ。あると思っていた豆がない。明日は日曜日なのに深煎り珈琲が提供できない。深夜0時過ぎ。札幌の菊地珈琲に電話をし事情を説明した。 「すみません。なるべく早く送ってもらえませんか」 電話の応対をしたのは博樹だ。 「わかりました。しかし空輸便で送ったとしてもどんなに早くて月曜日ですがかまいませんか」 仕方ないです。としょげるしかない。 「楽しみに来てくれたお客さまにはどうされるんですか?今手元にわずかですが深煎り豆があります。それを始発の飛行機に乗って届ければ午前中にはそちらにつきます」 翌朝4時。真っ赤な秋空の中、博樹は札幌を出発し、千歳空港へわずか2キロの深煎り豆を届けた。千歳から先はマメヒコのスタッフにゆだねた。三軒茶屋のマメヒコに深煎り豆が届いたのは午前9時30分である。開店から一時間半、わずかに残った前日の豆で深煎り珈琲が品切れになることはなかった。  そうなのだ。息子は父が言っていることをわかっているのだ。わかっているけど、わかっていないと思われていることも、わかっているのだ。そして、わかっているつもりでもまだまだわからないことがあることもわかっているのだ。 菊地珈琲の珈琲とは、菊地の「ヒト」に対する「豆さ」なのである。菊地良三にとって「豆」とは、つまり「ヒト」であり、「豆」を愛すると言うことはすなわち「ヒト」を愛するということなのだ。 「ヒト」を愛した菊地の珈琲が、今日もマメヒコに届けられている。                                                                                              来週につづく・・・