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菊地良三(よしみ)-珈琲焙煎師。札幌 菊地珈琲代表。67歳。
1941年(昭和16年)北海道・音更出身。
ジャガイモや豆を作る畑作農家に生まれる。8人兄弟。
札幌の大学を卒業後、大手珈琲商社に就職し、45歳で独立。自家焙煎珈琲
の店「菊地珈琲 キクチ珈琲」を開業した。
http://www.kikuchicoffee.co.jp
長年の経験による独自の珈琲は、主に札幌市内の喫茶店に届けられている。
2005年以降、都内では唯一、カフエ マメヒコに珈琲豆を卸している。

菊地良三(よしみ)は、十勝の「豆」農家の生まれである。

大学を卒業し、就職した先は札幌の珈琲商社だった。ここで彼は生涯を共にする「珈琲豆」と出会ってしまう。会社は支店長までつとめあげたが、45歳でやめてしまった。

遅い独立を心配する周囲の声をよそに菊地珈琲の看板を立ち上げた。

あれから22年が経っている。

菊地は「珈琲豆」を通して知り合ったすべての「ヒト」に「マメ」に付き合ってきた。

一粒の豆もおろそかにできないその細やかな性格は、もちろんたったひとりの人間もおろそかにしない。

菊地良三、67才。現役の珈琲焙煎師。

彼の人生は振り返れば「ヒト」に尽くす人生だ。彼の人生を一文字で表すならば、それはきっとこの一文字だろう。

「豆」。

珈琲豆を通じて知り合ったひとに「まめまめしく」尽くしてきた。つまり菊地にとって「豆」とは「ヒト」である。「豆」を愛すると言うことはこれすなわち「ヒト」を愛するということなのである。

  
vol1-1-2.jpg北海道、札幌。
湿度が低いこの町ではおいしい珈琲が焼けるそうだ。そのせいか市内には自家焙煎をうたう喫茶店の看板が目立つ。あまたある自家焙煎珈琲のなかで、開店当初からとりわけ美味しい「豆」を焼くことで知られるのが菊地珈琲だ。そこは一見、通り過ぎてしまいそうな古いたたずまいのちっちゃな店である。

ここで焼かれた菊地の豆は、開店から22年間。菊地良三みずからの足で、一軒一軒、晴れた日も雨の日も、雪の日でさえ、お得意様に届けられてきた。

菊地「自分の名前がついてる豆だからね、なんか見届けないと心配なんだわ」 

vol1-1-3.jpg珈琲の香りを決めるのは鮮度だ。豆は注文を受けてから焙煎し、焼けたらすぐ届ける。
それを一軒ずつ足で運んでいるのだ。大都会・札幌といえども年の半分は雪景色なのである。雪の日の配達などは面倒にちがいない。

菊地「配達を面倒がって宅急便に任せたんでは、いや、うん。だめなんだわ。お得意さんとこ顔見せれば向こうもこっちも安心する。他愛ない立ち話しの中に見え隠れするお客さんの本音が実を言うと大切なんだわ」

月に一度の第2土曜日、菊地は函館まで豆の配達に出かけている。

函館と札幌の距離は300km。季節がよければ車で5時間。冬の雪道ならゆうに7時間の距離だ。ちなみに東京と名古屋は380kmである。いくら北海道といえども300kmの距離を配達と呼ぶには・・・・・・、遠すぎる。

3年前、菊地のもとに東京から一人の青年が訪ねてきた。

菊地の焼いた豆をとある喫茶店で飲んで、とても気に入ったという。
曰く、彼は東京でカフェをはじめたいそうだ。
「どうかこの豆を卸していただけませんか」

菊地は決めていた。東京には多くの同業者がいる。仲間の商圏に土足で踏み込むようなことはしたくない。筋から外れるようなことは大嫌いだ。

内地(道外)は自分が商売をする場所ではない。
菊地は一瞬空を見上げ、困ったように青年にこう切り出した。

「申し訳ないです。東京は遠くて配達できませんからお受けできません」

菊地良三(よしみ) 67才。
彼の人生を漢字一文字で表すならば、それは確かに「豆」である。

今日も菊地の珈琲は東京で飲める。自分より30も若い青年のしつこさに根負けしたのだ。

カフエ マメヒコ。三軒茶屋と渋谷にあるこの店の珈琲は、菊地良三の「豆」である。

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mamehicoヒトヒコヒトヒコ1週:菊地良三さん菊地良三(よしみ)-珈琲焙煎師。札幌 菊地珈琲代表。67歳。1941年(昭和16年)北海道・音更出身。ジャガイモや豆を作る畑作農家に生まれる。8人兄弟。札幌の大学を卒業後、大手珈琲商社に就職し、45歳で独立。自家焙煎珈琲の店「菊地珈琲 キクチ珈琲」を開業した。http://www.kikuchicoffee.co.jp長年の経験による独自の珈琲は、主に札幌市内の喫茶店に届けられている。2005年以降、都内では唯一、カフエ マメヒコに珈琲豆を卸している。 菊地良三(よしみ)は、十勝の「豆」農家の生まれである。 大学を卒業し、就職した先は札幌の珈琲商社だった。ここで彼は生涯を共にする「珈琲豆」と出会ってしまう。会社は支店長までつとめあげたが、45歳でやめてしまった。 遅い独立を心配する周囲の声をよそに菊地珈琲の看板を立ち上げた。 あれから22年が経っている。 菊地は「珈琲豆」を通して知り合ったすべての「ヒト」に「マメ」に付き合ってきた。 一粒の豆もおろそかにできないその細やかな性格は、もちろんたったひとりの人間もおろそかにしない。 菊地良三、67才。現役の珈琲焙煎師。 彼の人生は振り返れば「ヒト」に尽くす人生だ。彼の人生を一文字で表すならば、それはきっとこの一文字だろう。 「豆」。 珈琲豆を通じて知り合ったひとに「まめまめしく」尽くしてきた。つまり菊地にとって「豆」とは「ヒト」である。「豆」を愛すると言うことはこれすなわち「ヒト」を愛するということなのである。    北海道、札幌。湿度が低いこの町ではおいしい珈琲が焼けるそうだ。そのせいか市内には自家焙煎をうたう喫茶店の看板が目立つ。あまたある自家焙煎珈琲のなかで、開店当初からとりわけ美味しい「豆」を焼くことで知られるのが菊地珈琲だ。そこは一見、通り過ぎてしまいそうな古いたたずまいのちっちゃな店である。 ここで焼かれた菊地の豆は、開店から22年間。菊地良三みずからの足で、一軒一軒、晴れた日も雨の日も、雪の日でさえ、お得意様に届けられてきた。 菊地「自分の名前がついてる豆だからね、なんか見届けないと心配なんだわ」  珈琲の香りを決めるのは鮮度だ。豆は注文を受けてから焙煎し、焼けたらすぐ届ける。それを一軒ずつ足で運んでいるのだ。大都会・札幌といえども年の半分は雪景色なのである。雪の日の配達などは面倒にちがいない。 菊地「配達を面倒がって宅急便に任せたんでは、いや、うん。だめなんだわ。お得意さんとこ顔見せれば向こうもこっちも安心する。他愛ない立ち話しの中に見え隠れするお客さんの本音が実を言うと大切なんだわ」 月に一度の第2土曜日、菊地は函館まで豆の配達に出かけている。 函館と札幌の距離は300km。季節がよければ車で5時間。冬の雪道ならゆうに7時間の距離だ。ちなみに東京と名古屋は380kmである。いくら北海道といえども300kmの距離を配達と呼ぶには・・・・・・、遠すぎる。 3年前、菊地のもとに東京から一人の青年が訪ねてきた。 菊地の焼いた豆をとある喫茶店で飲んで、とても気に入ったという。曰く、彼は東京でカフェをはじめたいそうだ。「どうかこの豆を卸していただけませんか」 菊地は決めていた。東京には多くの同業者がいる。仲間の商圏に土足で踏み込むようなことはしたくない。筋から外れるようなことは大嫌いだ。 内地(道外)は自分が商売をする場所ではない。菊地は一瞬空を見上げ、困ったように青年にこう切り出した。 「申し訳ないです。東京は遠くて配達できませんからお受けできません」 菊地良三(よしみ) 67才。彼の人生を漢字一文字で表すならば、それは確かに「豆」である。 今日も菊地の珈琲は東京で飲める。自分より30も若い青年のしつこさに根負けしたのだ。 カフエ マメヒコ。三軒茶屋と渋谷にあるこの店の珈琲は、菊地良三の「豆」である。