本州からハタケのある北海道まで、フェリーでバイクを渡す。
苫小牧までのフェリーの出航先、青森についた。

フェリーの出港は震災の影響で、八戸ではなく青森に変更。

 

宮城を過ぎ、岩手に入り、釜石を通り過ぎたあたりで、
突然けたたましく防災無線のサイレンが鳴った。
 
 
津波だという。
 
 
よく事態がわからなかった。
防災訓練かと思った。
持っていたipadでニュースを検索する。
マグニチュード7.3 三陸沖を震源とした地震、津波注意報発令と速報に出てる。
 
 
事態がよくわからないので、しばらく走ってみると、
警察車両が町中に避難しろと叫んでる。
パトカーも続々と配備している。
町中が騒然となっている。
あの日以来初めての津波か。
 
慌てる人々について行って、山の上に逃げた。
眼下には静かな港が見える高台である。
 
鏡のような水面が見える。
この穏やかな海面が、どうしてあんなひどいことをしたのか。
想像してもなぜばかりで頭が追いつかない。
 
 
youtubeで津波の動画をいくつも見た。
それほどセンセーショナルではない。
なにか物言わぬ力。
隆起した水が静かに音楽のように町を飲み込んでいく。
潮が引いた後の光景はひどい。
 
2時間足止めされながら、実際に4ヶ月前ここで見ていたヒトたちと
ボクも一緒に穏やかな水面を見つめた。
彼らの横顔をのぞいてみる。きっと視線は水面に向けられているんではない。
がれきの街に鳴るサイレンを耳の端に聞きながら、
ここに居ぬ誰かの顔を浮かべていたはずである。
 
ニューヨークの9.11の直後、
似たようながれきの中で番組の取材をしたことがあった。
また次のテロが来るかも知れないから気をつけろと言われていたけど、
気をつけるも何もそんな容赦ないことを人間がするものかと、
真に受けずに取材を続けた。
実際テロはあれきりだった。
 
けれど。
地震はことごとく容赦ないなと、つくづく思う。
岩手に入れば幾分被害は軽くなっているのかと東京の報道で
勝手に推測していたけれど、
陸前高田をもちろんのこと、北にある釜石も宮古も容赦なくやられている。
 
幹線道路のあちこちに張り紙。
 
 みなさんの助けを忘れない。
 
 救助の皆さん、感謝しています。ありがとう。
 
そして、
 
 頑張ろう岩手 頑張ろう 頑張ろう
 
と書いてある。
 
人に感謝する言葉は「ありがとう」でいいけれど、
自分たちを励ます言葉は、しっくりするものがないんだと思った。
 
 一体、なにを頑張れというのか。
 
テレビやマスコミはがれきの街の深刻さを点描で伝えてはいるけれど、
(もっとも原発に関心が移って以来このあたりの深刻さも伝えてるかどうか)
細かく見れば、一辺倒の被害ではない。
 
深刻な集落は、喪に服すことに精一杯で、頑張ろうもなにもない。
何もかも失ってしまっている。消えている。なかったことになっている。
元のままなのは愛しくて憎い海だけで、何を頑張れるというのか。
ボクならそう思う。
 
手をつけて再生すべきか、そもそも何を持って再生とするのか。
人間が住んでいたという集落の体温が湿度が失せているんだ。
 
いっそ町を捨てよう。何もかもなかったことにしてしまおう。
未来を考えれば、そう思うほかにないじゃないか、という思い。
そうそう合理的に捨てられるものじゃない、という思いが、
仮設住宅のプレハブの中に押し込められている。
色とりどりの洗濯ものが物干し竿に揺れている。
 
道の途中の横断幕に、
 
 「顔晴れ岩手」。
 
こっちの方がしっくり来る。
 
青森で喫茶店に入った。
古くてすごくいい店だった。
いい匂いといい湿度といい体温のする店だった。
サイフォン珈琲が美味しかった。
 
自家製ケーキではなく、どこかのあんまきが添えてあって、
背伸びしてないそこがすごくいいなと思った。
 
 
 
体温がまったく消えてしまったとしても、一定の予算を付ければ必ず復興再生できる。
頑張ろう。
 
ちぐはぐなことにならないといい。
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mamehicoハタケマメヒコ '11 十勝本州からハタケのある北海道まで、フェリーでバイクを渡す。 苫小牧までのフェリーの出航先、青森についた。 フェリーの出港は震災の影響で、八戸ではなく青森に変更。   宮城を過ぎ、岩手に入り、釜石を通り過ぎたあたりで、 突然けたたましく防災無線のサイレンが鳴った。     津波だという。     よく事態がわからなかった。 防災訓練かと思った。 持っていたipadでニュースを検索する。 マグニチュード7.3 三陸沖を震源とした地震、津波注意報発令と速報に出てる。     事態がよくわからないので、しばらく走ってみると、 警察車両が町中に避難しろと叫んでる。 パトカーも続々と配備している。 町中が騒然となっている。 あの日以来初めての津波か。   慌てる人々について行って、山の上に逃げた。 眼下には静かな港が見える高台である。   鏡のような水面が見える。 この穏やかな海面が、どうしてあんなひどいことをしたのか。 想像してもなぜばかりで頭が追いつかない。     youtubeで津波の動画をいくつも見た。 それほどセンセーショナルではない。 なにか物言わぬ力。 隆起した水が静かに音楽のように町を飲み込んでいく。 潮が引いた後の光景はひどい。   2時間足止めされながら、実際に4ヶ月前ここで見ていたヒトたちと ボクも一緒に穏やかな水面を見つめた。 彼らの横顔をのぞいてみる。きっと視線は水面に向けられているんではない。 がれきの街に鳴るサイレンを耳の端に聞きながら、 ここに居ぬ誰かの顔を浮かべていたはずである。   ニューヨークの9.11の直後、 似たようながれきの中で番組の取材をしたことがあった。 また次のテロが来るかも知れないから気をつけろと言われていたけど、 気をつけるも何もそんな容赦ないことを人間がするものかと、 真に受けずに取材を続けた。 実際テロはあれきりだった。   けれど。 地震はことごとく容赦ないなと、つくづく思う。 岩手に入れば幾分被害は軽くなっているのかと東京の報道で 勝手に推測していたけれど、 陸前高田をもちろんのこと、北にある釜石も宮古も容赦なくやられている。   幹線道路のあちこちに張り紙。    みなさんの助けを忘れない。    救助の皆さん、感謝しています。ありがとう。   そして、    頑張ろう岩手 頑張ろう 頑張ろう   と書いてある。   人に感謝する言葉は「ありがとう」でいいけれど、 自分たちを励ます言葉は、しっくりするものがないんだと思った。    一体、なにを頑張れというのか。   テレビやマスコミはがれきの街の深刻さを点描で伝えてはいるけれど、 (もっとも原発に関心が移って以来このあたりの深刻さも伝えてるかどうか) 細かく見れば、一辺倒の被害ではない。   深刻な集落は、喪に服すことに精一杯で、頑張ろうもなにもない。 何もかも失ってしまっている。消えている。なかったことになっている。 元のままなのは愛しくて憎い海だけで、何を頑張れるというのか。 ボクならそう思う。   手をつけて再生すべきか、そもそも何を持って再生とするのか。 人間が住んでいたという集落の体温が湿度が失せているんだ。   いっそ町を捨てよう。何もかもなかったことにしてしまおう。 未来を考えれば、そう思うほかにないじゃないか、という思い。 そうそう合理的に捨てられるものじゃない、という思いが、 仮設住宅のプレハブの中に押し込められている。 色とりどりの洗濯ものが物干し竿に揺れている。   道の途中の横断幕に、    「顔晴れ岩手」。   こっちの方がしっくり来る。   青森で喫茶店に入った。 古くてすごくいい店だった。 いい匂いといい湿度といい体温のする店だった。 サイフォン珈琲が美味しかった。   自家製ケーキではなく、どこかのあんまきが添えてあって、 背伸びしてないそこがすごくいいなと思った。       体温がまったく消えてしまったとしても、一定の予算を付ければ必ず復興再生できる。 頑張ろう。   ちぐはぐなことにならないといい。