2011/07/12

ハタケMH’11 通信 039

さらに北上する。

石巻、女川、南三陸町、そして気仙沼に入る。
 
たぶんそうなんだろうなと思っていたことだけど、
もうすっかり被災に慣れてしまっている。
 
家がひっくり返っていても、
観光バスが、ビルの上にあっても、
町そのものがなくなってしまっていても、
驚きも、落胆もしない。
怖いとも哀しいとも思わない。
 
それはたぶん、その町をボクがただ通りすぎるだけの、
通行人だからだと思う。
 
ほんとうにどこの町にも人影一つ無く、
ビルが根本からひっくり返っていても、片付けるひともいない。
堤防もひとたまりもなく崩れている。
その脇をただ通り過ぎるだけの通行人。
 
ただ一度こういうことがあった。
 
北上川の河口に大きな橋がかかっている。
向こう岸までかなりある大きな河川の出口。
 
この橋をわたれば石巻から南三陸町に入る。
ところが入り口で止められた。
 
橋が流されて通行止めになっているという。
流されているかここから見てもわからない。
それほど長い橋・・・。
仕方なく川上に向かおう。遠道だなと堤道できびすを返したとき、
ふと脇に小学校があった。
 
なんとなく気になった。近づいてみた。
 
校舎の大半が崩れ土砂に埋もれている。
ひどい。
 
 
供養の花が校門に積み上げられている。
校庭に僧侶が読経を唱えていた。
きっと月供養だと思う。
 
 
あの日。
川を逆流した海水は橋を流し、
土手を崩し、あふれた水はこの辺り一面を覆った。
あんなとこまで海水は来たのかと驚く。
これはひとたまりもないなと思う。
 
どこまで水か来たかは山裾の杉の木を見ればわかる。
海水を浴びてしまった杉の木は真っ赤に立ち枯れている。
 
大川小学校と書いてある。
あぁこれが・・・。
 
全校生徒108人のうち先生合わせて84人が犠牲になったと散々報道されている。
 
裏山まで相当の距離がある。
濁流を後ろに見ながら、
必死に山まで走り、かろうじて山裾の杉の枝にしがみつき、
土砂は足下をすくっただろう、三月の冷たいみぞれに手はかじかんだろう、
濁流のすごいノイズ、届かぬ涙声で助けを待った、子供たちの数人が助かった。
 
そして、助けを待てなかった子供たちは、
何が起きたのかわかっていないんではないだろうか。
子供たちは、なぜ読経が自分たちに唱えられているのか、
埋もれてしまったことさえ、まだわかっていないんじゃないか。
 
 
このとき、初めて哀しいと思った。
がれきに読経を唱える僧侶が、うなだれる親たちが、
助かった子供たちが、先生が、
なによりまだよくわかってない御霊が哀しいと思った。
何が起きたのかわかるにつれて哀しい。
 
通り過ぎてきた町にもそういうことがある。
けど、何が起きたのかボクは全然わかっていない。
だから哀しくなかったんだ。と哀しかった。
 
 
 
 
 
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