10/18(土)第6回目
語り手→マメヒコの井川

『マメヒコもバッハも同じ仲間?』

今回もなんのテーマもなしに、雑談からスタートです。

井川 
合理的という言葉は、効率的にものごとを進める
という意味で使われますよね。

けれど、本当は、
「理に合っている」という意味なんだとボクは 思う。

そう考えると、世間一般の合理主義が、果たして合理主義だろうか?
そういうことを最近よく考えるんです。

ボクはスタッフの個性に合わせて、

仕事を作ろうといつも思っています。

それには、まず目の前にいるヒトが
いったい何者なのかを知らないといけませんね。

何時間もかけて雑談したり、生い立ちまで聞いてみたり、
そいつが、何者かがわかったうえで仕事を考える。

それはとても非効率的なやりかただと、ボクはみんなに言われます。

まぁ実際、かなりめんどくさいことには違いないんですけど。
だけど、本当はそのほうがずっと合理的だと思っています。

結果として、そのほうが合理的だとボクは思っているんですけど、
なかなかいまの世の中では理解してもらえません。
 

何がしたいか事業計画書を作れ、企画書を書けと言われますけど、

ほんというと、そんなもの書けるわけないんです。

まだなにもやってないんだから。

それがだれにもわかってもらえません。

12/12~14でマメヒコでクラシック音楽を使ったお芝居をやります。
その話になりまして…。
 

今度のお芝居は増原さんという、オペラ歌手とやることになりました。

どういうわけか気が合いまして。

きのうも食事しながら、『音楽とは一体なんなのか」

という話になったんですね。

それで、二人で結論として、
結局なんだかんだ言っても、神とつながるためのものだろう、
ということになった。
 

はなしはそれますけど。
日本の出雲大社あたりに行きますと、
神在と書いてある食べ物がメニューにある。
これね。「ぜんざい(じんざい)」、つまりお汁粉なんです。

小豆(豆)には、悪霊を払うとかいう意味があったんです。
だからお椀の中に悪霊を払う神がいる=神在だと。

昔のヒトはいいこと気が利いたこと言いますね。

ということはね。
お汁粉も音楽も、神という点では同じじゃなかろうかと。

もっと言えば、バッハも豆を作り、豆を煮ているマメヒコもおんなじだよね。

そう思うんですね。

ここまでで相当話は飛躍していますが。

楽しく生きなさいよという神からのメッセージみたいなものを、
カフェも音楽も担っているんだと思って、

今回はそういうお芝居をやることにしました。
 

そこから、「雑」という話になりまして…。

東洋の神さまって大根だろうと、大木だろうとなんでもいいでしょ。
割合にテキトーです。
だから、日本にあるマメヒコもテキトーでいいと思っています。

専門性がなく雑多こそ合理的であり、ゆえに強い。

それをセクションに事細かに分けることが合理的で、

強いと思っているヒトがいますけど、
そんなの馬鹿げてる、大間違いですよ。
それしかできない、それしか使えないなんて言うのは、
とても脆いもので、平和な一時にしか役に立たないものだとどうしてわからないのか。

ここにいるみなさんは、

すっきりしたいんでしょうけど、

すっきりするというのは脆いんです。

グチャのままなんだかわからないまま進むことが

大切なんじゃないかとボクは思います。

 
途中までは、会場にいるみなさんが「???」でしたが、
最後はなんとなく、なるほどな、と、おわかりいただけたようです(?)。
見方が変わると世界は変わるという話?でした。

 

こういう話をただ聞く会がマメクルです。

ディスカッションではありませんので、

ひと前で話しをしたりするのが苦手な方は安心です。

途中の回からのご参加も受け付けています。
ご興味ある方は、応募要項を記載のうえ、
info@mamehico.comへご連絡くださいませ。

0
mamehicoマメとクルミ10/18(土)第6回目語り手→マメヒコの井川 『マメヒコもバッハも同じ仲間?』 今回もなんのテーマもなしに、雑談からスタートです。 井川 合理的という言葉は、効率的にものごとを進めるという意味で使われますよね。 けれど、本当は、「理に合っている」という意味なんだとボクは 思う。 そう考えると、世間一般の合理主義が、果たして合理主義だろうか?そういうことを最近よく考えるんです。 ボクはスタッフの個性に合わせて、 仕事を作ろうといつも思っています。 それには、まず目の前にいるヒトがいったい何者なのかを知らないといけませんね。 何時間もかけて雑談したり、生い立ちまで聞いてみたり、そいつが、何者かがわかったうえで仕事を考える。 それはとても非効率的なやりかただと、ボクはみんなに言われます。 まぁ実際、かなりめんどくさいことには違いないんですけど。だけど、本当はそのほうがずっと合理的だと思っています。 結果として、そのほうが合理的だとボクは思っているんですけど、なかなかいまの世の中では理解してもらえません。  何がしたいか事業計画書を作れ、企画書を書けと言われますけど、 ほんというと、そんなもの書けるわけないんです。 まだなにもやってないんだから。 それがだれにもわかってもらえません。 12/12~14でマメヒコでクラシック音楽を使ったお芝居をやります。その話になりまして…。  今度のお芝居は増原さんという、オペラ歌手とやることになりました。 どういうわけか気が合いまして。 きのうも食事しながら、『音楽とは一体なんなのか」 という話になったんですね。 それで、二人で結論として、結局なんだかんだ言っても、神とつながるためのものだろう、ということになった。  はなしはそれますけど。日本の出雲大社あたりに行きますと、神在と書いてある食べ物がメニューにある。これね。「ぜんざい(じんざい)」、つまりお汁粉なんです。 小豆(豆)には、悪霊を払うとかいう意味があったんです。だからお椀の中に悪霊を払う神がいる=神在だと。 昔のヒトはいいこと気が利いたこと言いますね。 ということはね。お汁粉も音楽も、神という点では同じじゃなかろうかと。 もっと言えば、バッハも豆を作り、豆を煮ているマメヒコもおんなじだよね。 そう思うんですね。 ここまでで相当話は飛躍していますが。 楽しく生きなさいよという神からのメッセージみたいなものを、カフェも音楽も担っているんだと思って、 今回はそういうお芝居をやることにしました。  そこから、「雑」という話になりまして…。 東洋の神さまって大根だろうと、大木だろうとなんでもいいでしょ。割合にテキトーです。だから、日本にあるマメヒコもテキトーでいいと思っています。 専門性がなく雑多こそ合理的であり、ゆえに強い。 それをセクションに事細かに分けることが合理的で、 強いと思っているヒトがいますけど、そんなの馬鹿げてる、大間違いですよ。それしかできない、それしか使えないなんて言うのは、とても脆いもので、平和な一時にしか役に立たないものだとどうしてわからないのか。 ここにいるみなさんは、 すっきりしたいんでしょうけど、 すっきりするというのは脆いんです。 グチャのままなんだかわからないまま進むことが 大切なんじゃないかとボクは思います。  途中までは、会場にいるみなさんが「???」でしたが、最後はなんとなく、なるほどな、と、おわかりいただけたようです(?)。見方が変わると世界は変わるという話?でした。   こういう話をただ聞く会がマメクルです。 ディスカッションではありませんので、 ひと前で話しをしたりするのが苦手な方は安心です。 途中の回からのご参加も受け付けています。ご興味ある方は、応募要項を記載のうえ、info@mamehico.comへご連絡くださいませ。