マメヒコでは大幅なメニュー替えが年に4回、定期的にあります。

さらに今は、飯店の閉店、公園通りの開店、宇田川町のリニューアルと
大きな変化が立て続けにある。
ボク自身も、ハタケマメヒコや映画の製作が重なってしまっていて、
のんびりとした余裕というのがありません。

それでついつい、いろんな物事が乱暴になってしまっているのか、

お店はすったもんだ、いろいろと大変です。

さっき、スタッフの中でもうんと若い女の子がお昼休憩でボクのところに来た。

「新しいメニュー替えが始まって、まだわからないことがあるから心配なんだよぉ。
誰に聞いていいかもわかんないし、聞いてみてそれで怒られたらやだし」

スタッフのなかに「心配」が蔓延するのはいいことじゃありません。
小さな心配は大きな心配を生むからです。

新メニューのオムレツ。

初めて作ったけど、最後のミニトマトは、オムレツの右に飾ったほうがいいのか、

左に飾ったほうがいいのか、もしかして上に乗っけるべきなのか。

意を決して、右に乗っけて提供したら、

あとから店長が来て、「ミニトマトは左に決まってるでしょ」、と冷たく怒られる。

帰り道。あんな言い方しなくたっていいのに。あたしこの仕事向いてないかも、

と大きな心配になっていく。

バカみたいだけどよくある話しです。

 

ボクなんかは心配事はどんどん忘れてしまう性格だし、

ルールなんかあるより、無いほうが楽しいし、

ミニトマトなんてどっちに置いたっていいじゃんと思うけど、
そう思わないで小さく心配してくれるヒトがたくさんいるから、マメヒコは回ってるんです。

「新作のメニューはさ、みんなで集まって、こうやるんだよとか、

そういう教えてくれる機会があればいいのに。どうしてそういうこと社長はやらないの?」

と彼女は言いました。

「そうだね、考えとくね」と言って帰したあと、娘のセミのことを思い出しました。

ボクの小さな娘が、まだほんとにほんとに小さかった頃、

ボクと散歩に出かけたとき、セミを見つけました。

セミは彼女の目の高さで、ケヤキの幹に止まっていて、
ミンミン、ミンミンと鳴いている。

彼女が好奇の目で嬉しそうに見ていたから、ボクはよかれと思って、
「触ってみたら?」と言ったんですね。

一瞬、彼女は「えっ」とひるんだんだけれど、決心して、触ろうとした。

触ってみたかったんでしょう。

ボクも触ってごらんよ、と強要したので、あと1センチでつかめる、ってところまで行きました。

ところがそこで、急にひるんだのか、「こわいっ」と手を引っ込めてしまったんですね。

そしたら、その大声にびっくりしたのか、
セミは彼女におしっこをひっかけて飛んでってしまったんです。

以来、彼女はセミが怖くなって触れません。

新しいメニューは楽しみだし、お客さんが喜んでくれたら嬉しいし、

マメヒコが好きだとみんな働いてます。

嫌いだけど働いてるというヒトはいません。

当たり前です。マメヒコなんて嫌いで働く理由なんかないですから。

けど、いざお店で、オーダーが入ってから、あっ、オムレツの組み立て方がわからない

となったら、マメヒコなんてただの心配の種でしかない。

そして、なんとか挑戦したとして、失敗してしまったら、

もう怖くて近づけなくなってしまうものです。
それが女の子というものなのでしょう。

子供じゃないから一度ということはないでしょうけど、

やっぱりひとたび怖くなってしまったら、いくらセミは怖くないよと諭しても、

あとはもう理屈じゃないんですね。

大人の女はごじゃごじゃ、理屈を言ってそれでこじれるけど、

要は怖いものはいや、なんです。

面白いことというのは心配の裏側にくっついているものですから、
一切の心配のない社会なんて、きっとそれはそれで女の子たちは

ものすごいつまらないと文句たらたら社会に違いありません。

だからって、心配がちのスタッフにそんなんじゃ使い物にならんぞと社長の立場として言うのも、

不憫な娘を持つ父として彼女の不甲斐なさを思うと可哀想になってきます。

結局のところ心配を安心に変えてあげる小さな声がけがあれば

違うんじゃないかと思います。

「心配を安心に変えてあげる小さな声がけ」なんて、政党のスローガンみたいですけど、

実際、心配がちの女の子には声がけが一番、効きます。

「まだサンドウィッチ作ったことないよね。ちょっとやるから見ててね」
「今日は忙しいから、あした少し早く来て教えてあげるから、あなたも早く来れない?」
「このオーダーあたしも作るから、同じように隣で一緒に作ってみて」

という一言があれば、みんなで集まって試作会なんかやるより

よっぽど実践的でいいのにと思います。

じゃぁ、お前がみんなに声かけてあげればいいじゃないかと、思うかもしれませんけど、

実のところ案外ボクは引っ込み思案なので、女の子に話しかけることは苦手です。

声をかけて無視されたらどうしようかと心配なのです。

かつて声をかけ無視されたことが、ボクの子供時代にあったのかもしれません。

世の中とは小さなことほど難しいものですね。

来週の7/1でマメヒコはおかげさまで8年目を迎えます。

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mamehico井川「~について」ハタケマメヒコマメヒコでは大幅なメニュー替えが年に4回、定期的にあります。 さらに今は、飯店の閉店、公園通りの開店、宇田川町のリニューアルと大きな変化が立て続けにある。ボク自身も、ハタケマメヒコや映画の製作が重なってしまっていて、のんびりとした余裕というのがありません。 それでついつい、いろんな物事が乱暴になってしまっているのか、 お店はすったもんだ、いろいろと大変です。 さっき、スタッフの中でもうんと若い女の子がお昼休憩でボクのところに来た。 「新しいメニュー替えが始まって、まだわからないことがあるから心配なんだよぉ。誰に聞いていいかもわかんないし、聞いてみてそれで怒られたらやだし」 スタッフのなかに「心配」が蔓延するのはいいことじゃありません。小さな心配は大きな心配を生むからです。 新メニューのオムレツ。 初めて作ったけど、最後のミニトマトは、オムレツの右に飾ったほうがいいのか、 左に飾ったほうがいいのか、もしかして上に乗っけるべきなのか。 意を決して、右に乗っけて提供したら、 あとから店長が来て、「ミニトマトは左に決まってるでしょ」、と冷たく怒られる。 帰り道。あんな言い方しなくたっていいのに。あたしこの仕事向いてないかも、 と大きな心配になっていく。 バカみたいだけどよくある話しです。   ボクなんかは心配事はどんどん忘れてしまう性格だし、 ルールなんかあるより、無いほうが楽しいし、 ミニトマトなんてどっちに置いたっていいじゃんと思うけど、そう思わないで小さく心配してくれるヒトがたくさんいるから、マメヒコは回ってるんです。 「新作のメニューはさ、みんなで集まって、こうやるんだよとか、 そういう教えてくれる機会があればいいのに。どうしてそういうこと社長はやらないの?」 と彼女は言いました。 「そうだね、考えとくね」と言って帰したあと、娘のセミのことを思い出しました。 ボクの小さな娘が、まだほんとにほんとに小さかった頃、 ボクと散歩に出かけたとき、セミを見つけました。 セミは彼女の目の高さで、ケヤキの幹に止まっていて、ミンミン、ミンミンと鳴いている。 彼女が好奇の目で嬉しそうに見ていたから、ボクはよかれと思って、「触ってみたら?」と言ったんですね。 一瞬、彼女は「えっ」とひるんだんだけれど、決心して、触ろうとした。 触ってみたかったんでしょう。 ボクも触ってごらんよ、と強要したので、あと1センチでつかめる、ってところまで行きました。 ところがそこで、急にひるんだのか、「こわいっ」と手を引っ込めてしまったんですね。 そしたら、その大声にびっくりしたのか、セミは彼女におしっこをひっかけて飛んでってしまったんです。 以来、彼女はセミが怖くなって触れません。 新しいメニューは楽しみだし、お客さんが喜んでくれたら嬉しいし、 マメヒコが好きだとみんな働いてます。 嫌いだけど働いてるというヒトはいません。 当たり前です。マメヒコなんて嫌いで働く理由なんかないですから。 けど、いざお店で、オーダーが入ってから、あっ、オムレツの組み立て方がわからない となったら、マメヒコなんてただの心配の種でしかない。 そして、なんとか挑戦したとして、失敗してしまったら、 もう怖くて近づけなくなってしまうものです。それが女の子というものなのでしょう。 子供じゃないから一度ということはないでしょうけど、 やっぱりひとたび怖くなってしまったら、いくらセミは怖くないよと諭しても、 あとはもう理屈じゃないんですね。 大人の女はごじゃごじゃ、理屈を言ってそれでこじれるけど、 要は怖いものはいや、なんです。 面白いことというのは心配の裏側にくっついているものですから、一切の心配のない社会なんて、きっとそれはそれで女の子たちは ものすごいつまらないと文句たらたら社会に違いありません。 だからって、心配がちのスタッフにそんなんじゃ使い物にならんぞと社長の立場として言うのも、 不憫な娘を持つ父として彼女の不甲斐なさを思うと可哀想になってきます。 結局のところ心配を安心に変えてあげる小さな声がけがあれば 違うんじゃないかと思います。 「心配を安心に変えてあげる小さな声がけ」なんて、政党のスローガンみたいですけど、 実際、心配がちの女の子には声がけが一番、効きます。 「まだサンドウィッチ作ったことないよね。ちょっとやるから見ててね」「今日は忙しいから、あした少し早く来て教えてあげるから、あなたも早く来れない?」「このオーダーあたしも作るから、同じように隣で一緒に作ってみて」 という一言があれば、みんなで集まって試作会なんかやるより よっぽど実践的でいいのにと思います。 じゃぁ、お前がみんなに声かけてあげればいいじゃないかと、思うかもしれませんけど、 実のところ案外ボクは引っ込み思案なので、女の子に話しかけることは苦手です。 声をかけて無視されたらどうしようかと心配なのです。 かつて声をかけ無視されたことが、ボクの子供時代にあったのかもしれません。 世の中とは小さなことほど難しいものですね。 来週の7/1でマメヒコはおかげさまで8年目を迎えます。