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みんなたちへの豆教室 VOL.10

みんなたちへの豆教室 VOL.10

 

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昭和20年。
日本は戦争で負けました。
この戦争のあいだに、日本国内は食べ物がなくなってしまったんですね。
カエルでもバッタでも何でも食べたっていう時代です。

それが戦後になって自由になると、生き残った人たちの欲求は食べ物に向かった。
当たり前です。
結局、食べ物がなければ人は生きていけませんから。
それで砂糖と豆の需要が一気に伸びた。

戦時中は雑穀の取り扱いについての統制があったんです。
勝手に雑穀を売り買いするなよというね。

それが昭和26年の3月に解除されたもんだから、
十勝は突然、息を吹き返した。

「もう一度、豆やっぺ、やっぺ」で、わんわん盛り返した。

まぁ賑わったそうですね。
帯広の駅前は本州に送るための豆が山ほど積んであったって聞きました。

 
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そもそも十勝というのは大正時代にも第一次世界大戦の影響で豆は相当儲かったんです。

ヨーロッパが戦地になって、豆が穫れなくて、十勝からヨーロッパにずいぶん豆が行った。
そのときの活気を覚えてるひともいたんでしょう。
やれいけ、それいけで、どんどん豆を作った。

ところがね。
ひととは哀れなものですね。
十勝で豆作ることはいかに難しいか、そんなことすっかり忘れてしまったんですね。

昭和28年から昭和31年あたりまで、十勝はものすごく寒かった。
まさに浮かれてたところに冷や水をぶっかけられた。
小豆に関わってたひとたちは慌てたんです。
それで取引相場が一人歩き始めたんです。
実際の小豆とは関係ないですね。
売る方と買う方の綱引きです。
それが「赤いダイヤ」と騒がれた。

昨日と今日で株が100円上がったとか下がったとか。
騒いでるのと同じです。

とにかく小豆で昭和30年あたり、帯広が十勝が豆にわき、華やかなりし刻があった。
ただそういうことです。

いいとか悪いじゃないですね。

ヒトというのはどこがで夢を見ないと生きられませんから。
戦後の哀しみに希望が必要だったのかもしれません。
夢を見た男に女は惚れて、惚れた女の幸せに、男は夢を見たということです。

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その後政府は市場を安定させるため、安い豆を外国から輸入するようになり、
のぼせた夢はどこかへと消えてしまったんです。
今の帯広駅は何もなかったように落ち着いてる。

アズキ赤いダイヤなんかではちっともなく、ただの煮崩れしやすい豆だったと気づいてしまったんです。

写真 目で見る 帯広・十勝の百年 より